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「働かないおじさん」に潜む「働くためのモチベーション」-キャリア形成に必要な軸の定め方に潜むワナ‐

「働かないおじさん」に潜む「働くためのモチベーション」-キャリア形成に必要な軸の定め方に潜むワナ‐

「働かないおじさん」問題に潜む「働くためのモチベーション」に必要なもの-キャリア形成に必要な軸の定め方に潜むワナ‐

こんな話をきいたことはないでしょうか。

・出世の天井が見えてしまった中高年のモチベーションが上がらずに困っている
・中高年の職員のモチベーションをあげる方法はないか

「働かないおじさん」問題というのは、今かなり話題になっていますので、知っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし、「おじさんは働かない」「働かないおじさんが高い給与をもらっているのはおかしい」など、言葉通りに受け取っていても、問題の根っこにある本質の部分は見えてこないものです。

今回は、この「働かないおじさん」問題に焦点をあてて、働く上でのモチベーションについて考えてみたいと思います。

「働かないおじさん」を生み出す組織とは?

まず、中高年になってからモチベーションが欠如する要因の根本には、何があるのでしょうか。

最も大きい理由の一つとしては、出世「以外」の動機づけを無化させてしまうような、中高年になるまでの人事管理のあり方そのものがあるのではないでしょうか。
日本企業におけるキャリアの歩み方を日常的なものにたとえれば、それは「校内で行われるマラソン大会」に似ていると言われています。
日本は、新卒一斉採用が行われる風習が根強いので、余計に、そのような状況になりやすいのです。

どういうことかというと、入社した年ごとに組織内でのキャリア形成というレースを一斉に走りだします。この時の「同期」はライバルでもあり、励まし合う仲間としても形成されます。

おそらく、企業の中では、同期の存在を重要視し、コミュニティ形成を支援する制度などがあったりすることも多いのではないでしょうか。私の所属先でもオンボーディングのために、同期のコミュニティを作る支援があったりします。

マラソンなのでペースはゆっくりしており、序盤は団子状態で走っているわけですが、レースが中盤にさしかかるにつれて集団が分かれ、最後は一握りの人たちだけがトップを目指して走り抜いていきます。
それは、後半になればなるほど、顕著にみられる光景でしょう。

しかも、会社組織に入ればそれは強制参加になりますが、途中で競争から降りることは、後輩に抜かれたり、あるいはリストラ候補になったり、閑職に追いやられたりすることを意味します。

なので、選択肢は、競争に勝ち続けるか、あきらめるか、転職して別のレースに参加するか、という3つしかなくなるのです。

これらの状況を、「出世意欲がなくなっている」という「今」の心理状況だけに注目するのは、人事管理の問題を個人に擦り付けてしまっているようにも取れます。
しかも、中高年ともなると、長い年月をかけてあげてきた高い給与がありますので、「高い給与をもらっているのに」という論調も成立してしまいます。つまり、本当であれば、高いパフォーマンスを発揮してほしいと期待されているのに、そこにたどり着かない、ということが問題ともいえるでしょう。

日本企業独特の慣習

日本の雇用の独特さは、こうした校内マラソン大会に似た、「未経験からスタートする、広くて長い出世レース」にあります。

仕事を限定せずに雇い、会社都合の異動で広い範囲で仕事内容を変えながら、10年、15年といった長い期間を経て課長や部長になることを目指していきます。
これは、メンバーシップ型雇用とも呼ばれます。

欧米がジョブ型雇用という、いわゆる「決められた仕事をするその道の専門職」が主体になっているのに比べると、非常に特徴がある雇用の文化を持っているのです。もちろん、欧米もエグゼクティブになると、メンバーシップ型の雇用をされている方は多いということですが、新卒からほぼ全ての職種でメンバーシップ型の雇用が敷かれているのは稀なのです。

出世コースというのはありますが、様々な部署で様々なポジションを経験しながら、まずはオールラウンダーであることを求められます。
スタート時点では、正社員であれば多くの人が幹部候補としての出世機会を得られ、モチベーションを長く保てる仕組みですが、組織内の自身の仕事内容を決めるイニシアチブは、基本的に組織が持っており、本人の希望をさしはさむことはできない仕組みで動いている場合も多いでしょう。

働く人々は、「同期」という同年代の横並びの幹部候補生が集まって、「査定」という形で企業から評価の良し悪しをずっと比較され続けます。

同期入社つまり、校内マラソンを固まって走る「仲良しグループ」の中では、当初は、一人が飛び抜けて速いわけでもなければ、誰かが飛び抜けて遅いわけでもない、ダンゴ状態で走っていきます。
実は、それによって、同期同士の少しの昇進の差を、当人にとって大きく実感させる、競争的な状況を作り出しているという側面があります。
若いころは盛んに行われていた同期会も、徐々に人数が減っていきます。皆様にも覚えがあるのではないでしょうか。

強制参加のレースで「降りる」のは個人の意思である

こういった内部昇進レースは、原則的には強制参加になっています。
「自分は出世なんてどうでもいい」と言いつつも、走り始めると、多くの若手がこうした構造に飲まれていきます。介護、育児、病気などの「特別な事情がない限り」参加するのが当たり前だと思われているのです。
そこから「降りる」ということは、本人の「意思」や個別の「選択」として理解されてしまいます。平等に機会は与えているよね、というのが組織としては言えてしまいますし、現状それ以外の方法を持っている組織は多くないですから、そういった面では、構造的な問題ともいえるかもしれません。

そして、このことは、女性活躍が女性の「意欲」の問題になってしまうことの理由でもあります。結婚や妊娠出産でレースに今まで通りに参加できなくなった時に、降りる選択をしたのは、「あなたの意思ですよね」、「組織側の問題ではないですよね」という意識を生み出してしまう可能性があるということです。

そして、その出世レースと別のコースを会社が準備したものが「マミートラック」と言ってもいいかもしれません。

「しゅふJOB総研」の調査では、「同じ仕事をしているのに男女で賃金が異なることを不公平だと感じたことがある人」は全体の62.0%に上りました。これを年代別に見てみましょう。

年代が下がるにつれて不公平感は薄れ、60代以上の72.4%が不公平を感じている(いた)に対し、30代以下では37.3%となっていました。これは、男女雇用機会均等法や、働き方改革等も含めて世の中の流れが徐々に変わってきたことの表れでもありますし、そもそも賃金差(待遇差)が出てくることが遅いからこその結果である可能性があります。

ここでもう一つ、注意点があるとするなら、この「出世なんてどうでもいい」といってしまう方の中には、「出世とは関係ないが、自分としてはこの道を究めたい」といって、一生懸命努力したり、勉強を重ねる方がいる一方で、「そこそこ生活できればいい、生活を犠牲にするほど仕事をしたくない」というスタンスで、組織にぶら下がる気満々です!といったスタンスを最初から取る方もいることです。

今論じている「働かないおじさん問題」は、前者の道が認められない、評価されない人事制度の構造的な問題があるということなんですが、後者については、最初から仕事へのスタンスが違うということになるのかもしれません。
ワークライフバランスといった言葉が非常に一般化した現代では、そもそも、仕事への向かい方も本当に人それぞれなのです。

42.5歳の転換点

とはいえ、この「校内マラソン」も終わりを迎えるタイミングがあります。
出世する人は徐々に絞られ、それぞれの組織の中でのキャリア・アップは停滞を迎えていきます。
専門用語では「キャリア・プラトー(高原)」と呼ばれる、いわばキャリアの踊り場に差し掛かるわけです。
企業はすべての人を管理職にするわけにも、幹部にするわけにもいきません。高度経済成長の時代ならまだしも、出世の限界が見えたからといって、さらに出世の天井を引き上げる、つまり「ゴールを引き延ばし続けること」などは現実的ではないからです。

特に最近では労働者不足を見通して、定年の延長や再雇用制度の整備も徐々に進んでおり、引退の時期が後ろ倒しになっています。
引退が延びたことによって、それまで部長クラスになっていた人が、課長クラスにとどまるようになっています。52歳、55歳といったタイミングで役職定年を迎えるということもあります。
こうした中で企業では、50歳ごろからいきなりキャリア研修などを受けさせられ、「キャリア自律」だなんだと言われ始めるのです。

「出世に対する意欲の変化」を調べてみると、平均で42.5歳を境目にして、「出世したい」と「出世したいと思わない」の割合が逆転していると報告されています。
「出世したいと思わない」の比率は、逆転して以降はひたすら右肩上がりで伸びているのが見て取れます。
一方、「キャリアの終わりを意識している」人が「していない」を上回るタイミングについても、調査がされております。パーソル総合研究所の「働く10000人 成長実態調査2017」では、出世意欲がなくなってくると、すぐに「引退モード」が来るのが日本の正規雇用の就業意識です。このデータは出世以外の「代替物のなさ」を物語っています。

出世できないとわかるのが「遅すぎ」問題

では、この独特さを、その他の先進国と比べることで確かめてみましょう。

少々古いデータですが、国際比較した定量調査によれば、入社後に個々人の「昇進の差」が出始めるタイミングは、ドイツ企業で入社後平均3.7年、アメリカ企業が3.4年、日本企業は7.9年程度と報告されています(佐藤博樹、2002、「キャリア形成と能力開発の日独米比較」『ホワイトカラーの人材形成』(東洋経済新報社所収))。

その後、昇進の見込みがない人が5割に達する時期は、ドイツ企業がおよそ11.5年、アメリカ企業が9.1年、日本企業は22.3年で、最も長期化しています。日本では22歳前後で入社する人が多いとすると、先程の「出世意欲の限界」とおおよそ一致します。

日本企業で働き始め、昇進に差が付き始めるころには、アメリカ企業ではそろそろ過半数が昇進の限界を迎えるということです。

--つまり、日本における昇進の「頭打ち」の平均42.5歳という数字は、世界的水準で言えば、あまりにも「遅い」と言えるでしょう。

逆に言えば、それまでの長い間、組織内出世という可能性を広く与え続けるのが日本企業の人事管理です。

出世をご褒美、あるいはキャリアアップの唯一の対価として与え続けていくのが、新卒で入社した会社に生涯にわたって勤め続けることをよしとし、そのメリットとしてきた日本の労働文化が表れているともいえると思います。

衝撃!?転職市場の俗説は事実だった

転職市場にはかねてより「35歳限界説」という言葉が流布していました。

随分と夢のない話だと思います。出世見込みがないとわかり、転職を意識するような頃には、もうすでに転職市場の価値すら低くなっているのです。

35歳限界説は、ミドルの転職が増えていくにつれて消えてきた、なくなってきたと言われることが多くなりました。

ある報告では、35歳以降は採用されにくくなっていました。年齢によるバイアスは広範囲で見られていて、企業規模や採用担当者の属性による差は特になかったということです。

どの程度採用されにくくなるかというと、35歳を超えると、5歳分歳をとるごとに出身大学偏差値が10低下することと同程度の採用抑制効果が見られました。

受験のときを思い返してみれば、偏差値10の差はかなり大きな差です。学校や塾などで頑張った分の教育投資効果がまるごと失われていると考えると、衝撃的な話ではないでしょうか。

私の友人でも、兄と弟の大学の偏差値が5-10程度違った兄弟がおり、そもそも、エントリーシートが通る確率や、就職説明会の案内の数が全く異なったと聞きいたことがあります。

その他にも、転職回数が多いほど、無職期間が長くなるほど、採用費が高くなるほど、採用されにくくなることも示されましたが、それらの効果とは独立して、年齢という要素だけで大きく人は採用されにくくなります。

「35歳限界説」はかなり明確に、広く日本の転職市場に根強く残っていそうです。

高校や大学は、偏差値だけで選択しているわけではないと思いますが、大きく影響があることも周知の事実かと思います。本人であれば、一生懸命勉強してきた結果、親であれば一生懸命働いて子供に教育を受けさせた結果として考えた時には、何とも言えない気持ちになりますね。

こうして、生まれる転職できない中高年たち

さきほど校内マラソン大会のような出世競争から「降りる人」や「限界を感じる人」が多くなるのは、平均で42歳ごろだという話を紹介しました。

最初のころは「みな」が競争しているので、その中でリードしていること(勝つ見込みがあること)が動機づけやパフォーマンスを向上させますが、40歳をすぎるころには、先頭集団だけの競争になってしまいます。

どんな企業でも、上位のポストになればなるほど仕事の複雑性が増してポストも限られてくるので当然のことであると思います。
しかし、先述したとおり、35歳神話が根強く残っているので、そのころにはすでに転職市場では価値がガクンと下がってしまっています。

不満だけを溜めて外にでない中高年層が大量に発生するのは、この長すぎる出世競争が終わるころにはすでに「簡単には外にでられない」状態になってしまっているためでしょう。

これが、組織内に「働かないおじさん」を大量発生させている要因です。

しかもその動機づけ競争を主導しているのは組織側です。

その状態の中高年にいきなり「外にでることも考えて」と告げるだけでは済まされないでしょう。キャリア研修をしている企業は非常に危機感があるということでもありますが、一方その必要とされるタイミングはおそらく企業が思っているよりも早いのです。

企業としては、その状態に気が付きつつも、キャリア研修をして優秀層(これから出世をして会社を引っ張っていってほしい人材)が、キャリアを考えて社外に出てしまうことを防ぎたいので、メンタルブロックがかかっている可能性があります。

一方、「働かないおじさん」を大量発生させるよりは、早期からキャリア研修を行い、出世以外のキャリアアップの選択肢を考え、実行できるような人材を育成していくことの方が、費用対効果は高い可能性もあるのではないでしょうか。

キャリアを自分で選べない

最近「配属先ガチャ」という言葉が話題になったことを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

全国転勤があったり、あるいは希望した部署に配属されるか、希望は出せど、通らない場合があることへの批判的な比喩ということになると思います。

若者が、この企業のこの部署に配属されたいと思っていても、実際に希望通りに配属されることは多くは確約されません。日本では、新人を教育していく一定のルートがあり、ローテーションの順番や方法が確立されてしまっているからです。

希望でない部署、地域に配属された若者にとってみれば「配属先ガチャに外れた」といったことになるのだと思います。

日本では、若手従業員にとっては、大企業から中堅企業まで未経験者でも就職できる間口が大きく開いていることで、学校卒業と入社が同時に起こることが普通です。

海外では、一定期間空いていることも普通に起こりえることである一方、この日本の制度はある種の雇用環境の安定をもたらしているとも言えます。

勤務地・部署は希望こそ出せますが、入社後に広範囲に配置・職務異動があるために、キャリアを自分で選ぶ権利が半分奪われているとも言えるでしょう。

総合職と言われる就職方法である場合は、勤務地すら自由にならないこともありますし、全国的な転勤も起こりえます。
自分の生活圏ですら、自分で選択できない代わりに、出世や高収入が保障されることで、一定期間頑張ることはできますし、裏返してみると、そうやって組織に縛られているともいえるでしょう。

このような状態では、「キャリアの先が見えない」という状況が長く続くことになります。

専門性を磨きたいと思っても、2~3年後にはその職務についているかわからない状態では特定の職業への教育コストを投じる動機が生まれにくくなります。

今、必要だと思って始めた勉強も、今後役に立たないかもしれないし、あるいは、役に立つ最大公約数的な勉強だったらコスパがいいけど、そうでなければ努力自体がコスパが悪い、なんてこともあるかもしれません。

これは、大きな企業になればなるほど、そのような傾向があると言えるでしょう。

また、社内昇進レースにおいては、「同期」という疑似共同体を作りながら切磋琢磨し、小さな昇進差を大きく捉えながらどんぐりの背比べを続けていきます。そこにおいてはオフィスに長く残り、長時間労働しているその姿が上司にとって部下の意欲や「頑張っている」ことのシンボルになっていることも多いのではないでしょうか。

どれだけ上司の機嫌をとり、根回しをし、残業をすることで、ほんの少しの成果の差を求めるようになるということです。また、上司も、結果でなくプロセスの評価をしてしまうため、「こいつは頑張っているから」といった高評価をしてしまいがち。

そうなると、期限をとること、根回しをすること、残業をすることは評価を去れることであるという意識がどうしても根付いていってしまいます。

ちょっとした差をつけて、できるだけ出世競争に勝てるようになりたいというのは、当然の帰結のようにも思えますが、これが長時間労働を助長・正当化している理由になっているとしたら、考えモノですよね。

モチベーションを手にしよう

中高年の「働かない」問題は、こうした職業生活のスタートから規定され、中高年になるまでにその働き方を長年続けることにより、出世すること以外にモチベーションを持てないことがもたらしている問題です。

「働かない」問題の核心は「モチベーションがない」ことではなく、「モチベーションのエンジンが組織内出世に偏ってきた」ことによる「代替物のなさ」、ととらえる必要性があります。

窓際で暇そうにしている「個人の姿」や現在の「心理」の問題を遥かに超えたところにあるのが「働かない」問題の本質です。

当然ながら、これは本人自身のみの問題ではなく、組織が構造的に持っている問題が本人の問題としてとらえられてしまっている誤謬ともいえる状況なのです。

今現実で「目に見えている景色」のみから離れられない発想では太刀打ちできませんし、社内の中高年を「妖精さん」などと皮肉に眺めている若者も、この真因が変わらない限り、いづれ、自分達も同じような道を歩むことになります。

「働かないおじさん」問題の怖いところは、この人材マネジメントが変わらない限り繰り返されてしまう点にあります。

しかも、基本的には高齢者が増え、若年者が減っていくのが現在の人口オーナス期を迎えている日本の状況なのですから、年金の問題ばかりでなく、働いている今、その場の問題としても若者が働かないおじさん達すら背負って組織の成長や利益を増やしていくことを求められているのですから、状況は本当に深刻です。

夢を奪われる若者たちの悲哀

「自分より高い給料をもらっているのに、それに見合う働きをしていない」

こんな中高年、あなたの職場にもいらっしゃるのではないでしょうか。これが、「働かないおじさん」と呼ばれる人たちです。

しかし、一方会社の成長期に一生懸命、身を粉にして働き続けてきた人に敬意を払う必要性があるという意見も同時にあります。一生懸命働いてきて、能力が限界に達した人を、働かないからと言って切り捨てるのか。そういう組織で安心して働けるのか、という話にもなります。

それはそれで、「そうだな」と思わされるところもありますよね。

いわゆる「バブル世代」や40代後半から50代前半の「団塊ジュニア世代」と呼ばれる方々は、多くの企業ではボリュームゾーンになっています。これが、今「働かないおじさん問題」が社会的に注目を浴びている一因にもなっています。

ずばり、とにかく数が多い。

日本は、ワークエンゲージメントが高い労働者が諸外国と比べて特段に少ないという調査結果もあり、この状況を裏付けているともいえるでしょう。

しかし、このような「働かないおじさん」たちをみて、若者たちは夢を持てるでしょうか。いずれ、自分達もこうなってしまうかもしれない、この人たちの分まで働かないといけないのか、自分はこうなりたくない、といった、負の気持ちが大きくのしかかってきてしまいます。

私は、キャリアコンサルタントですので、この問題についてはとにかく若いうちからキャリアをしっかりと考え、出世する、以外のキャリア形成について、皆がしっかり自分の考えを持っているということが重要であると考えています。

企業としては、利益を追求していくことが重要ですから、個々人のキャリア形成まで責任を持つべきか?という論点はありますが、過去から現在までそうしてきた結果が今の状態であるのであれば、別の視点、手段を考えて本気で取り組まないといけない時期であると思っています。

それが、長期的なPDCAサイクルを回す、ということであるように思っています。

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