女性のキャリア形成における自分らしさを考えるノウハウとは?
女性のキャリア形成については、随分と議論も行われるようになってきましたし、制度についても、徐々に整備されるようになってきました。
また、自分らしさ、自分らしい、そういった言葉は、今のこの多様性のある社会ではある種当たり前の言葉になりました。
でも、本当に自分らしい、自分らしさがわかっている人はどのくらいいるでしょうか?
これが自分らしい生き方だ、と言える人はどのくらいいるでしょうか。
というか、自分らしいかどうかが重要ではなくて、社会の役に立つこと、あるいはお金を稼げればなんでもいい、みたいな方もいるかもしれません。
自分らしいのが良いというのは、唯一の価値観ではないよね、という話について今日は考えてみたいと思います。
また、自分らしさ、自分らしい、そういった言葉は、今のこの多様性のある社会ではある種当たり前の言葉になりました。
でも、本当に自分らしい、自分らしさがわかっている人はどのくらいいるでしょうか?
これが自分らしい生き方だ、と言える人はどのくらいいるでしょうか。
というか、自分らしいかどうかが重要ではなくて、社会の役に立つこと、あるいはお金を稼げればなんでもいい、みたいな方もいるかもしれません。
自分らしいのが良いというのは、唯一の価値観ではないよね、という話について今日は考えてみたいと思います。
1 多様性の中での自分らしさ
今の日本は、非常に多様性を求められる時代になりました。どんな学校に行くか、何を学ぶか、どんな職業を選ぶか、誰と恋愛するか否か、いつ、誰と結婚するか、しないか。子供を産むか、産まないか。様々な分岐点があり、選択肢があります。
過去には、例えば女性は30歳前に結婚し、子供を持ち、家庭に入り、家庭を守る。男性は一つの会社で勤めあげて家族を養う。その為によい学校に入り、よい企業に入るのが勝ち組、等と言われました。こういった画一的な価値観が徐々に崩れ、「これが幸せ」と感じることや、「これが幸せ」ととらえられるものも多様性が出てきています。
とはいっても、まだ移行期であり、画一的な価値観がなくなっており、多様性を皆受け入れている、ということでもありません。
しかし、多様性が増したことで、自分は何を選んだらよいのかわからなくなってしまっている人もいるかもしれません。
画一的な価値観の中にあったわかりやすい「正解」が、もうありませんから。
過去には、例えば女性は30歳前に結婚し、子供を持ち、家庭に入り、家庭を守る。男性は一つの会社で勤めあげて家族を養う。その為によい学校に入り、よい企業に入るのが勝ち組、等と言われました。こういった画一的な価値観が徐々に崩れ、「これが幸せ」と感じることや、「これが幸せ」ととらえられるものも多様性が出てきています。
とはいっても、まだ移行期であり、画一的な価値観がなくなっており、多様性を皆受け入れている、ということでもありません。
しかし、多様性が増したことで、自分は何を選んだらよいのかわからなくなってしまっている人もいるかもしれません。
画一的な価値観の中にあったわかりやすい「正解」が、もうありませんから。
2 日本人の考える自分らしさ
では、こういった多様性を認める動きは、日本独自のものなんでしょうか?諸外国はどうでしょうか。
この多様性を認める動きは、日本が自然発生的に取り組んできたものではなく、海外への移住者、海外からの移住者を受け入れながら海外からの価値観が徐々に持ち込まれた結果であると私自身は感じています。
インターネットの発達により、諸外国の情報にも簡単に触れることができるよういなってきました。その中で、「この価値観はあってもいい価値感なんだ」「皆違ってもいい」といった空気が醸成されてきているとも言えます。
しかし、日本人はもともと島国で、農耕を主体に営んできた国です。農耕は、地域に根差し、集団での共同作業です。また、地震や台風などの天災お多く、協力し合いながら皆で生活するという文化は古くからあったように思います。コツコツ作業をし、実ったものを皆で分け合って食べる文化とも言えます。
その古くからあった文化は産業が発展した現在も価値観の根っこの部分に影響しており、多様化を認めたいという流れと逆行し、均質化しているものへの安心感があります。なので、日本人の考える自分らしさというものが、本当に本人だけのものであるのか、というのは分けて考えることは、実際は難しいのかもしれません。
この多様性を認める動きは、日本が自然発生的に取り組んできたものではなく、海外への移住者、海外からの移住者を受け入れながら海外からの価値観が徐々に持ち込まれた結果であると私自身は感じています。
インターネットの発達により、諸外国の情報にも簡単に触れることができるよういなってきました。その中で、「この価値観はあってもいい価値感なんだ」「皆違ってもいい」といった空気が醸成されてきているとも言えます。
しかし、日本人はもともと島国で、農耕を主体に営んできた国です。農耕は、地域に根差し、集団での共同作業です。また、地震や台風などの天災お多く、協力し合いながら皆で生活するという文化は古くからあったように思います。コツコツ作業をし、実ったものを皆で分け合って食べる文化とも言えます。
その古くからあった文化は産業が発展した現在も価値観の根っこの部分に影響しており、多様化を認めたいという流れと逆行し、均質化しているものへの安心感があります。なので、日本人の考える自分らしさというものが、本当に本人だけのものであるのか、というのは分けて考えることは、実際は難しいのかもしれません。
3 自分軸、他人軸
では、「自分らしさ」を考えるために、その考え方が自分を軸にしたものか、あるいは他人を軸にしたものなのか、振り返ってみましょう。
例えば、自分が何かをしようとする時に、「自分がどうしたいか」でなく、「他人がどう思うか」で意思決定を変えていますか?また、比較対象は「過去の自分」ですか?それとも、「他人」でしょうか。対人関係も、自分が付き合いたいと思う人だけと付き合っていますか?それとも、誰からも嫌われないようにふるまっていますか?
どちらがいいか、ということでなく、今現在の価値判断がどの軸に由来しているのかを振り返ってみることは、新たな考え方や価値観を創出し、自分自身の選択肢を広げることに役立ちます。
自分軸が良いといっても、社会生活をしていれば、自分軸だけで過ごすことは難しい場面も多いと思います。私も子育ての最中ですが、子供がうるさくしたり、子供がいることでマナー違反にならないように、周囲に気を使いながら過ごす場面は多いです。しかし、自分を大事にしたいから、といって好き勝手に振舞ってしまうと、子供が成長した時に、困るのは子供なのではないかと思ってしまうので、どうしても子供に口うるさくなってしまう、ということを経験します。
この判断が、本当に正解かどうかは分かりませんが、社会の中で生活する上で、一定程度の周囲への気遣いは重要であると私自身は思っていますし、一定程度それをやっていないと、いざという時のわがままも聞いてもらえない、ということを経験上知っています。
信念という部分ではどうでしょうか。自分軸であると、自分を尊重することで、他人も尊重できる、であるのに対して、我慢・自己犠牲・自己否定が美徳、というのが他人軸ということができます。この他人軸、非常に紋切り型ではありますが、日本人の「よいところ」として言われてきたことではないでしょうか。
私達キャリアコンサルタントも、その学びの中で、「自分を知っている深さでしか、相手を知ることができない」と学びました。
キャリアコンサルタントは、クライアントのサポートをする対人援助職であすが、その基本姿勢の中に「自己理解」があることに、当初非常にびっくりしたことを覚えています。
私のもう一つの職業である医療職も対人援助職ですが、その教育の中では、「自分」について学ぶ機会は無かったように記憶していますので、同じ対人援助職でも、その文化の違いに驚いたのです。
繰り返しになりますが、どちらが正しいということではなく、どちらのスタンスで判断をしたのかを理解すること、それが重要であると考えています。
皆さんの、今している判断は、どの軸によるものでしょうか?
例えば、自分が何かをしようとする時に、「自分がどうしたいか」でなく、「他人がどう思うか」で意思決定を変えていますか?また、比較対象は「過去の自分」ですか?それとも、「他人」でしょうか。対人関係も、自分が付き合いたいと思う人だけと付き合っていますか?それとも、誰からも嫌われないようにふるまっていますか?
どちらがいいか、ということでなく、今現在の価値判断がどの軸に由来しているのかを振り返ってみることは、新たな考え方や価値観を創出し、自分自身の選択肢を広げることに役立ちます。
自分軸が良いといっても、社会生活をしていれば、自分軸だけで過ごすことは難しい場面も多いと思います。私も子育ての最中ですが、子供がうるさくしたり、子供がいることでマナー違反にならないように、周囲に気を使いながら過ごす場面は多いです。しかし、自分を大事にしたいから、といって好き勝手に振舞ってしまうと、子供が成長した時に、困るのは子供なのではないかと思ってしまうので、どうしても子供に口うるさくなってしまう、ということを経験します。
この判断が、本当に正解かどうかは分かりませんが、社会の中で生活する上で、一定程度の周囲への気遣いは重要であると私自身は思っていますし、一定程度それをやっていないと、いざという時のわがままも聞いてもらえない、ということを経験上知っています。
信念という部分ではどうでしょうか。自分軸であると、自分を尊重することで、他人も尊重できる、であるのに対して、我慢・自己犠牲・自己否定が美徳、というのが他人軸ということができます。この他人軸、非常に紋切り型ではありますが、日本人の「よいところ」として言われてきたことではないでしょうか。
私達キャリアコンサルタントも、その学びの中で、「自分を知っている深さでしか、相手を知ることができない」と学びました。
キャリアコンサルタントは、クライアントのサポートをする対人援助職であすが、その基本姿勢の中に「自己理解」があることに、当初非常にびっくりしたことを覚えています。
私のもう一つの職業である医療職も対人援助職ですが、その教育の中では、「自分」について学ぶ機会は無かったように記憶していますので、同じ対人援助職でも、その文化の違いに驚いたのです。
繰り返しになりますが、どちらが正しいということではなく、どちらのスタンスで判断をしたのかを理解すること、それが重要であると考えています。
皆さんの、今している判断は、どの軸によるものでしょうか?